辞書を引くのが嫌な人

辞書を引くのを嫌がる人がいる。はっきりと「嫌だ」と口に出すわけじゃないんだけど、どうも辞書を引くくらいなら知らなくていい、という価値観を持っているように見受けられる。
まあどうせ面倒だからというだけのことなんだろうと、僕はずっと思っていた。しかし最近、もう少し根深い原因の一端を捉えたような気がした。とある中学生に勉強を教えていたときだ。「どうして辞書を引かないの?」とちょっと踏み込んで尋ねてみたところ、「だって読んでも分からないんだもん」と返してきたのだ。なるほど。意味を調べるために読んだ文章の意味が分からないというのは、なんともヤル気を奪うことに違いない。そして、そういうことが繰り返されるうちに、辞書に対して嫌悪感のようなものが醸成されてしまうのかもしれない。そういえば僕もちょっと前に広辞苑水琴窟という言葉について調べたのだけれど、どんなものなのかまったく想像できなかった。
中学生の話に戻ると、実のところ彼女が躓いていたのは文章だけではなかった。ついでに確かめてみたところ、記号の意味もよく分かっていなかったのだった。
辞書というのは普通、独特の記号を使って情報が詰めこまれているものだ。僕の電子辞書に入っている英和辞典を見てみても、初学者には確かに読みこなすのが難しそうだ。そして困ったことに、そういう特殊記号の意味は電子辞書の中には書かれていないのだ。紙の辞書なら最初のほうに「凡例」として使い方が載っているけれど、電子辞書に移植されるときに削られてしまうわけだ。
紙の辞書を引いていた経験のある(あるいは今も使っている)大人は、電子辞書から始めるイマドキの子供の苦労に気づきにくいということがあるかもしれない。「話をする時は、相手に知識はまったくなく、知性は無限にあると思って話せ」。自戒を込めて。